第五回 平和世界 一
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第五回 平和世界 一(第一 外部社会四囲の境遇。裏面より論ず)
 ああ天下の乱れ、それいずれの日かやまん。吾人は欧州現今の形勢を視《み》て実に浩歎《こうたん》に堪えざるなり。しかれどもかの欧州諸国はいかにしてかくのごとく莫大《ばくだい》なる兵備を整うを得るか。必ず莫大なる経費を要せざるべからず。しかしてその莫大なる経費はいかにして給するを得るか。必ず社会の富より生じ来たらざるべからず。すでにこの兵備あればまたこの兵備を維持するの富あらざるべからず。しからばすなわちかの表面に武備の盛大なるの事実はただちにその裏面において生産機関の膨脹したる事実を証明するものにあらずしてなんぞや。コブデン曰く「幸いなるかな。皇天の命や。かの戦争なるものはおのずから廃滅せざるべからざるの性質をそのうちに含蓄するものなり」と。それ戦争ほど高価なるものはあらざるべし。大なる戦争をなさんと欲せば大なる代価を出《い》ださざるべからず。大なる代価を得んと欲せば大いに生産の機関を発達せしめざるべからず。しかして生産機関と武備機関とはその勢い相両立するものにあらざれば、ひとたび生産機関が突進するときには、武備の機関は必ず一歩を退かざるべからず。ふたたび一歩を突進するときにはさらにふたたび一歩を退かざるべからず。これを例するにあたかも独木橋《まるきばし》をば両岸より渡るがごとく、たがいに相接近するに従い、その勢いいよいよ両立するあたわず。一進一退、これ進んで目的の岸に達するときには、かれ退いてその発程《はってい》の岸に帰らざるべからず。笑うに堪えたり。かの欧州の権謀政治家や、日夜ただ兵備拡張に汲々《きゅうきゅう》として、かえってその兵備拡張の手段なるものは兵備拡張の目的を遮断《しゃだん》するの大敵たることを忘却したるはなんぞや。実に第十九世紀において武力の運動を自由ならしむるの手段はただ富の勢力を増加するの一あるのみ。しかして富の勢力を増加するの手段は実に武力を減ずるの手段にほかならず。ゆえにかの帝王宰相らが武備拡張に従事するものは、人を斬らんと欲してかえって短剣をば己れが頸上に擬するものにあらずや。すでにしからばかの腕力主義の命運もあにそれ遠きにあらんや。
 しからばすなわち現今の大勢より帰納し来たれば欧州を支配するの勢力は実に兵と富との二大主義に帰せざるべからず。しかしていずれがもっとも重なる勢力を有するか。すなわち兵よく富を支配するか。富よく兵を支配するか。これ吾人が講究すべき問題なり。けだし第十九世紀の世界は生産主義と武備主義との一大戦場にして今日の時代は実に二主義戦争の時代といわざるべからず。
 そもそもこの二個の機関は人生と同時に社会に出で来たり、また同時に発達したりといえども異種雑類たがいに相混合するは事物のいまだ進化せざる以前の本色にして近古に至るまでほとんどその区別を見るあたわざるがごときものあり。試みに上古の歴史に散見するの事実を見よ。葛伯《かつはく》が餉《しょう》に仇《きゅう》すと言い、鄭人《ていじん》が温の麦を刈るといい、イスラエル人が牧場を争うといい、高地のスコットランド人が低地のスコットランド人の牛羊穀物を奪うというの類のごとき、その戦争の目的はこれ生活の方便をたがいに争うものにあらずや。聞くコンスタンチン大帝以後天下の耳目に著明なるの戦争二八六戦。しかしてその原因たるや、レッキー氏の説によれば、第一、宗教信仰の反対より生じ、第二、経済上実利を争うより生じ、第三、君権民権の反対より生ずるものとせり。知るべし、かの貿易の利を争う者は近世に至るまで実にその重なる戦争の原因たりしことを。すなわちかのスペイン人のごときもし金銀に富む国ありと聞けば、余力を剰《あま》さず、これを征服したるがごときその一例なり。
 かくのごとく戦争なるものは一種の盗賊にしてしかしてかの貿易なるものもまた己れを益して他を損する一種の盗賊の類なりとはこれ古今普通の観念にして、貿易をなすは盗賊をなすことなり、盗賊をなすは戦争をなすことなりとし、貿易・戦争の二者はつねに盗賊なる普通の目的によりて連帯するものなりと思い、その極近古の商人は戦争の主義をもって貿易を行ない、近古の武士は商業の目的を達せんがために戦争をなし、商人は商業をもって戦争となし、武士は戦争をもって商業となし、兵と商とはほとんど同一物にしてただ表裏の観察をことにしたるまでにとどまりしもまたゆえなきにあらず。かくのごときの妄想はひとり世の凡庸政治家のみならず、モンテーニュのごとき、ベーコンのごとき、あるいは仏国革命の張本人ともいうべき烱眼《けいがん》なるヴォルテールのごとき、またあるいは第十八世紀の中間において英国第一流の政治家チャタム侯ピットのごときすら仏国と戦端を発《ひら》きその領地たるカナダを押領せしめたるはまったく英人をしてその貿易の利を専有せしめんがためなりといえり。かの経済学士セイ氏いえることあり。「およそこの二百年間において欧州の政治家がこれらの妄想より、すなわち貿易上の利を争うよりして戦争に従事したるものおよそ五十年に下らず」と。けだしかの偏僻《へんぺき》の論、邪妄の主義のごとく世を禍するものはあらず。人あにみずから好んで悪をなさんや。しかしてかくのごとき禍害を社会に及ぼすゆえんのものは、ただそのなすところのものを善なりとし、その当を得たりとし、ついに死に至るまでみずから知らざるに坐するのみ。あに嘆ぜざるべけんや。すでにこれらの諸名士にしてなおかくのごとし。滔々《とうとう》たる世俗の流輩が重金説・保護主義・専売主義等に心酔したるももとよりうべなりというべし。
 勢い極まれば必ず変ず。欧州の政治家らがその妄迷の政略をもってその人民を困《くる》しめ、その邦家を悩まし、かの百姓《ひゃくせい》をして、「挙《こぞ》って首を疾《なや》まし、額を蹙《ひそ》め、しかして相告げて曰く。わが王わが宰相の奪掠を好む。それなんぞ我をしてこの極に至らしむるや。父子相見ず。兄弟妻子離散す」といわんばかりの極点に達せしめたるに、幸いなるかな欧州人民は初めてここに経済世界の新主義を説法するの救世主に遭遇したり。
 けだし貿易の主義と戦争の主義とは氷炭相容れざるものにして、戦争の主義は己れを利して他を損し彼我の利害決して両立せざるにあるも、貿易の主義はまったくこれに反し、己れを利しあわせて他を利し、彼我の利益ぜひとも両立せざるべからざるにあるの一大真理を欧州諸国に向かって説法したるものは、実にアダム・スミスその人をもって破天荒といわざるべからず。もちろんイタリア、フランス、スコットランド等に数多《あまた》の学士出でて氏と前後にこの説を唱えたるものあれども、いまだ氏が声のごとく大にして遠きものはあらず。実に一七七六年において初めて世界に出でたる氏が一篇の『富国論』は貿易世界の福音書といわざるべからず。氏曰く、
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各国人民みなそれともに貿易をなす。他国人民の繁栄なるをば猜疑《さいぎ》の眼をもってこれを観、しかして他の利益をもってただちに我の損害となすがごとし。それ商業なるものはなお一個人の間におけるがごとく、邦国の間にもおのずから自他の友愛和睦の関紐《かんじゅう》となるべきはずなるに、かえって乖離《かいり》敵対のもっともはなはだしき原因となれり。古往今来、帝王宰相の飽くを知らざる功名心も、いまだ商業家・製造者の険悪なる猜疑心のごとく欧州の平安を害したるものあらざるなりと。
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氏はまた曰く、
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隣国の富は戦争もしくは政略上の交渉においては我に危険を与うれども、通商貿易においては実に利益を与うるものなり。けだし旗鼓《きこ》相見《あいまみ》ゆるの日においては彼の富は彼をしてよく我に優《まさ》るの海陸軍を備えしむるを得るものなり。しかれども天下泰平舟車往来の日においては、またわが物産貨物をばその富あるがゆえに高貴なる価値をもってこれを交易し、景気よき市場をもってこれに与うるものなり。たとえば富者は貧人よりもその隣郷に住む生産者のよき得意者たるがごとく、富栄なる隣国もまたしかりといわざるべからずと。
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 かくのごとく氏は欧州諸国に向かって大呼して曰く光あれよと。しかして商業の太陽は車輪のごとく※[#「日+童」、第3水準1-85-40]々《とうとう》として中天を軋《きし》り上り、ついに欧州の面目を一変するに至れり。サー・ゼームス・マッキントッシュ曰く「文明諸国の立法のもっとも重要なる点をば直截《ちょくせつ》に、全体に、かつさらに復古すべからざるほどの変革を及ぼせしはおそらくはただこの一書ならん」と。実に新主義の向かうところ敵なく欧州全体を風靡《ふうび》し、山となく河となく、草も木もその威に従わざるはなく、いかなる頑固の帝王宰相も、いかなる壟断《ろうだん》を私するの姦商《かんしょう》も、いかなる惑溺的《わくできてき》の政略も、今はほとんど一掃し去るの勢いあるに際し、ここにまたその新主義の運動にもっとも必要なる生産世界の新手段なるもの出でたり。なんぞや、曰くワット氏の蒸気機関の発明すなわちこれなり(一七六九年)。自由貿易主義と蒸気機関とは雲竜相逐うの勢いをなし、一の必要は一の発明を生じ、一の発明はさらに一の必要を生じ、進歩より進歩に進み、発明より発明に移り、僅々たる五十年、これらの大作用は実に突兀《とつこつ》として一の新世界を宇宙に湧出《ようしゅつ》したり。新世界とはなんぞや。第十九世紀の世界これなり。
 吾人をして今日の生産世界の現象を適当に理解せしめんと欲せば、よろしくまず今日の分配通信機関の活動するありさまを観察せしめざるべからず。なんとなればかの百貨の離合集散するゆえんのものはただこの機関あるがゆえなればなり。ゆえにこの機関は実に生産会社において決して欠くべからざる必要の事情なればなり。
第一、蒸気船の発明これなり。
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(註)汽船行なわれてより航海すこぶる便を得、風帆船をもってひとたび航海するの間に汽船は三たびするがゆえにたといその艘数を増さざるも貿易を便利にせしや実に大なり。かつや汽船をもってすれば船舶と水夫を要する大いに寡《すくな》きことまたこれが一因をなす。なんとなれば今もしまったく風帆船のみを用うれば必ず現今より三万三〇〇〇艘、水夫五五万人を増やさざるべからず。はたしてしかするときは産出者に益せず、また消費者をも利するなくいたずらに物価を騰貴すること六分に至るべし。現時各国船舶のトン数を挙ぐれば左のごとし(ただしトン数は千位にとどむ)。
国名 汽船 風帆船 合計
英国 三、三六三 五、八〇七 九、一七〇
合衆国 一、一二七 三、四一一 四、五三八
スウェーデン、ノルウェー 二〇六 二、〇〇三 二、二〇九
イタリア 九八 一、二九二 一、三九〇
ゲルマン 二二七 八七六 一、一〇三
フランス 三三四 七二五 一、〇五九
スペイン 一七五 五六五 七四〇
オランダ 一三五 四〇二 五三七
ロシア 一〇六 三九二 四九八
ギリシア 七 四二七 四三四
オーストリア 八一 三三九 四二〇
南米 五九 九五 一五四
ポルトガル、エジプト 八三 一四六 二二九
合計 六、〇〇一 一六、四八〇 二二、四八一
(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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第二、鉄道の発明これなり。
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(註)今や回首して往時を顧みるに、かの有名なるスチブンソン氏の時代(按ずるに一八二〇年)より以来工業の練熟は多く鉄道のことに集まり、もってもっとも著大なる功を奏したるを知るなり。さきにスチブンソン氏がロンドン府よりバーミンガムまでの一線を作りしや、当時世人は驚くべき大工事となし、あたかもチェオブスの金字塔《ピラミッド》のごとく思惟《しい》したり。しかれどもこれを近時築造せる諸線路に比較せば難易大小もとより同日の論にあらざるなり(ちなみにいう、バーミンガムの線路はかの金字塔の工事よりは労力を費やせしこと五割六分なり。しかして金字塔は十万の人夫にて二十年を要したれども、スチブンソン氏はこの工をなすに人夫わずか二万人に過ぎずしてまた五年をもって落成せり<スマイルス氏の言>)。今その二、三を挙げてこれを説かん。近年の工事にかかるかの南米アンデス山よりペルーへわたれるオーロル鉄道は海面より高きこと一万五六四六フィートなり。この鉄道は六十三の隧道をアンデスの山中に穿《うが》ち、数多の橋梁を渓壑《けいがく》の間に架け、その高道にしてかつ峻嶮なる多く世界に見ざるところなり。しかれども石階|巍々《ぎぎ》として聳抜《しょうばつ》せるリギ鉄道に比すればやや嶮ならざるなり。けだしリギ線路は頂上に達するただ四英里(ルッツェルン湖水面より高きこと四五〇〇フィート)なりといえども、その間巨巌突出して鋸牙《きょが》のごとくもっとも嶮絶となす。また地中鉄道のもっとも著明なるものはロンドンのメトロポリタン鉄道にしてその費用一ヤード六百ポンドなりき。また地形の嶮なるにあらずして大いに費やしたるはニューヨーク高鉄道《イレベーテットレイルウェー》これなり。この鉄道は軌道を屋上に架し、諸人の雲集せる繁昌地を進行し、その状あたかも空中を馳するに異ならず。しかしてこれに乗るところの旅客は毎月二百万人に下らざるなり。しかれどもその事業を起こすに非常の出費を要し、一英里およそ七万八〇〇〇ポンドの巨額をなせり。近時プロシア国ベルリン府の大博士シーメンス氏は電気を用いてこれと同様なる線路を築造せんと企てたり。
 鉄道を敷設してもって行旅の便に共せしは一八二五年ストックトンよりダーリントン(ともに英の地名)の間に開きたるものをもって嚆矢《こうし》とす。過去三十年間にわが工師の世界各地に敷築せし鉄道十万英里に及びその費用は一八億万ポンドの巨額を致す。今鉄道の諸大州に拡張したる景況を示さば左のごとし。
年代 ヨーロッパ アメリカ アフリカ アジア オーストラリア 全計
一八三〇年 五五〇 三四〇 ― ― ― 八九〇
同 四〇年 五、五〇〇 四、〇九〇 ― ― ― 九、五九〇
同 五〇年 二四、二〇〇 二〇、一六〇 四〇 ― ― 四四、四〇〇
同 七〇年 六〇、四〇〇 五六、三〇〇 五八〇 四、五〇〇 一、三〇〇 一二三、〇八〇
同 八〇年 九五、二七一 九二、八四二 二、〇六〇 七、八七〇 三、九八〇 二〇二、〇二一
(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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第三、電信機の発明これなり。
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(註)電信の世に行なわるるに至りしこといまだはなはだ久しからざるなり。一八一六年にあたりてローナルズ君のハンマースミスに試みたる方法を改良したるののちクック氏およびホイートストン氏らが電信機通信の免状を得たるは実に一八三七年にして、これを翌々年初めて「グレイト・ウェスタン・レイルウェー」(汽車)に用いたれども、一八四八年に至りてなお汽車のこれを設くるを拒みしもの一七〇〇英里ありき。けだし当時の人は女皇の談話七百語の六十五分にしてロンドンよりリバプールへ達したるを見て驚嘆したりとぞ。また初めて電線を水底に敷設せしは一八五〇年ドーバーとカレイ(按ずるにドーバーは英にありカレイは仏にあり)間の電線となす。しかして現今海底電線の数三三〇、その長さ九万七六〇〇英里なり。今世界の陸地に架設せる電信線路は左のごとし(ただし音信の数は千位にとどむ)。
国名 里程(英) 音信の数 毎一英里音信の数 百人に付音信の数
ヨーロッパ 二一八、四五〇 七八、〇〇〇 三五〇 七五
アメリカ 一四〇、五五〇 二四、〇〇〇 一七〇 三二
アジア 二二、四〇〇 二、〇〇〇 九〇 一三
アフリカ 一四、〇五〇 一、〇〇〇 七〇 五
オーストラリア 二五、七〇〇 四、〇〇〇 一六〇 一五〇
合計 四二一、一五〇 一〇九、〇〇〇 二六〇 九
今もしこれに加うるに海底電線九万七五六八英里をもってせば五一万八七〇〇有余英里を得。(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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第四、郵便法の進歩これなり。
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(註)いずれの国を問わず、郵便物送達の多寡はもってその商業の盛衰、知識の進否《しんぴ》を卜《ぼく》するを得べし。左に各国|毎《まい》一人書状郵数の数を掲げてもって十年間進歩の景況を示さん。
国名 一八六七年 一八七七年
英国 二七 三五
スイス 二四 三〇
合衆国 一五 一九
オーストリア 一三 一八
ゲルマン 九 一五
オランダ、ベルギー 九 一四
フランス 一〇 一〇
ノルウェー、スウェーデン、デンマーク 七 九
オーストリア・ハンガリー 六 八
カナダ 六 八
スペイン、ポルトガル 四 五
イタリア 三 四
スペイン領アメリカ 一 一/二 二
ギリシア 一 一/二 二
ロシア 三/四 一
日本 ― 一
(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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第五、新聞紙の発行これなり。
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(註)左に掲ぐる表は世界各国において新聞創始の年代、一八四〇年および現行の発行高ならびにその年々印刷に用うる紙のトン数を示す。
国名 創始の年 一八四〇年 一八八〇年 紙の消費高
英国 一六二二 四九三 一、八三六 一六八
合衆国 一七〇四 八三〇 六、四三二 五二五
フランス 一六〇五 七七六 一、二八〇 一三四
ゲルマン 一五二四 三〇五 二、三五〇 二四四
オーストリア 一五五〇 一三二 八七六 九二
ロシア 一七一四 二〇四 三一八 七二
オランダ、ベルギー 一七五七 七五 三七六 四〇
スウェーデン、ノルウェー、デンマーク 一六四四 一〇四 一二〇 三〇
イタリア 一五六二 二一〇 一、一二四 三八
スペイン、ポルトガル 一七〇四 九二 一五〇 一〇
スイス ― 五四 二三〇 一七
スペイン領アメリカ 一七二八 九八 八五〇 二〇
カナダ 一七六五 八八 三四〇 二〇
西インド 一七三一 三七 五〇 五
オーストラリア 一八〇五 四三 二二〇 一五
トルコ 一七九七 八 七二
ペルシア 一八三八 二 ―
インド 一七八一 六三 六四四
シナ 一八八〇 四 ―
アフリカ 一八二四 一四 四〇
サンドウィッチ 一八三五 一 六
日本 ― ― 三四
合計 三、六三三 一七、三四八 一、四七〇
現今新聞紙の発行高を挙げんに合衆国は四百万部。英国は二百万部。しかしてこの他諸国を合わせて六百万部とす。(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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 以上の諸々《もろもろ》の発明、諸々の進歩はあいともに協同一致の運動をなし、もって著大なる変化を地球上に生じたり。試みに見よ。かの豪胆不敵なるマゼランが水平に明滅する南極星の微光をその頼みとなし、千古未航の大洋に突出し、驚喜の涙を濺《そそ》ぎ、上天が自家の鉄腸雄志を試みるに足る絶大の海面を与えたるを祝し、初めて太平洋の名を下せし当時においては、地球を一周したる実に三年の歳月を費やしたり。しかしてその危険を犯したるの一点においてはもとより尋常一様の舟子のよくするところにあらず。ただ千古の一人マゼランのごとき者にして初めてよくするほどにして、いわゆる積水窮むべからずと詩人が詠じたるごとく大洋を航するは天に上るよりも難きのありさまなりしも、今は僅々八十日間を費やせば安穏に室中に平臥してもって地球を一周するを得べく、ロンドンより自然の風力を仮《か》る帆走船をもって喜望峰の険濤《けんとう》を凌ぎ、快走するもカルカッタに達するにはおよそ四ヶ月を要したるに、ひとたび汽船の便を仮れば九十四日に過ぎず。しかしてひとたびスエズ地峡|開鑿《かいさく》の大事業の一八六九年に成就したる以上はカルカッタはおろか東洋の極端なるわが日本にすら四十日内外にて達するを得べし。かの天に達せんとする角石塔の大工業を成就し、万古の年代において他の人類を睥睨《へいげい》したるエジプト人らが数千年前その労力と経験とを尽くし、いくたびかこれを試みついに果たすあたわずして放擲《ほうてき》したるこの事業も、かの仏人レセップス氏は隻手を振うて難なくこれを決行し、その余勇はなおやむところを知らず。今はすでにパナマ地峡開鑿に従事したり。昔人をしてこれを聞かしめばそれこれをなんとかいわんや。かの鉄道のごときは前世紀の人においてはほとんど夢にも幻にも思い当たらざることにして、かのヴォルテールはニュートンが将来あるいは一日五十里を快走するの方便を得るの発明あらんと予言したるをば評して、世あにかくのごときの妄誕不稽《ぼうたんふけい》のことあらんやと大笑したれども、今はかの鉄道は実にかの太平洋の岸頭より大西洋の岸頭に至るまでほとんど一週間をば出でずして経過するにあらずや。かの電信のごときに至りてはその快活なる実に驚くに堪えたり。今や英京ロンドンより米国ニューヨークに至るまで三千余里の海底をば、ただ二分半にして通信を伝うることを得。もし十分を費やせばその回答さえ聞くを得るという。スペンサー氏曰く、
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エディンバラ府の一市民が電信によってロンドン府の一市民に通信を与うるに要する時間は、電信局に電信を依頼し、および電信局よりこれを受け取るの時間を算入するも、なおはなはだ僅少にしてこの二府の間に動物のごとく肉の連続するの場合において、神経によって刺衝を通ずるに要する時間の四分の一よりさらに僅少なり。
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 それ社会の神経の活溌なるは動物よりもはなはだし。これあに驚くべきのことにあらずや。けだしこれらの新発明はひとり社会の表面に一大刺衝を与えたるのみにとどまらず、また社会を組織する一個人の感情にいちじるしくその変動を与えたり。上林の秋雁《しゅうがん》に依頼せざるも郵便は至るところ吾人が通信を託するに堪えたり。風に臨んで故山を眺め泣かんと欲するも、四海八荒みなわが故郷なり。おおよそ『古今集』もしくは『唐詩選』の世界はこれらの発明のために横領せられ、実際的の境界いよいよ進んで想像の帝国いよいよ蹙《せばま》り、事務の勢力日に長じて詩人の勢力日に減ず。吾人は詩人のためにはいささか嘆息すべけれども、わが社会進歩の現象としてこれを観察すれば実に上天に向かって感謝せざるべからず。さればこれらの分配通信の機関は火の原を燎《や》くがごとく、水の下《しも》に就くがごとく、かの政治的の境界をば日に侵掠《しんりゃく》して経済的の領地となさしめたり。実に現今の欧州諸国は政治的より観察すれば種々の国体もあり、種々の人民もあり、種々の制度もありてたがいに相|睥睨《へいげい》し、汝、我を斬らば、我、汝を刺さんというがごときの意気あるにもかかわらず、経済の世界は偏なく党なく蕩々《とうとう》としてこの各国各人民をば網羅して一の連邦と見なせり。
 吾人これをマコーレーに聞く、かの中古封建割拠の時代においては、欧州諸国はただ一のローマ教を奉ずるよりして、唯一の法王を戴くよりして、宗教上の連邦を組織したりと。しかして今や第十九世紀の欧州は実に生産機関のために一大共和国となれり。あに愉快ならずや。
 かのビスマルクは曰く「愉快なるかな今日において初めてルイ第十四世以来|深仇《しんきゅう》ある仏国に讐《しゅう》するを得たり」と。ガンベッタは曰く「看よ看よいつか汝に向かってセダンの辱《はずか》しめ、パリ城下の恥《はじ》をばひとたび雪《すす》がずしておくべきか」と。しかれどもこれただ武備機関の支配する政治世界の妄想のみ。経済世界に至りては仏国もなく、ゲルマンもなく、またいずくんぞその恩あり、仇《あだ》あらんや。英人いかに強情にして高慢なるも、酔いを醺《くん》ずるには仏国|葡萄《ぶどう》の美酒を沽《か》わざるべからず。ゲルマンいかに仏国を仇とするも、仏国の流麗艶美の文学はこれを賞してその書籍を輸入せざることあたわざるべし。その鉄を生ずる国は鉄を輸出すべし。砂糖を需用するの国は砂糖を輸入すべし。ゆえにかの政治世界においては、ここは我の領地なり、かしこはなんじの所有なりと、石城を構え、鉄塁を築き、実に究屈の世界なれども、その実は決してしからず。坦々たる大道矢のごとく。天下|壌々《じょうじょう》利のために往き、天下|熙々《きき》利のために来たる。その来たるや風のごとく、その往くや潮のごとし。その集まるや、需用の求心力あるがゆえなり。その散ずるや供給の遠心力あればなり。四海八荒ただ商利の大競場にしてかの大都通邑《だいとつうゆう》なるものはただ商利の市場のみ。これを例うるに水道に柵を結び、各人各箇その所有を表すれども、その実は柵下の水流相往来するがごとし。実に奇なりというべし。ゆえに経済世界の眼孔より観察し来たれば、かの権謀政治家らが蘇譎張権《そけつちょうけん》たがいに傾危の政略を行うて経済世界の運動に抵抗するは、なお漁村の児童が海浜に立ちて砂石を拾いもって潮流の進み来たるを遮《さえぎ》らんとするがごとし。実に可憐の至りといわざるべからず。
 分配通信の機関すでにかくのごとし。さればこれを利用するかの貿易はいかほどの進歩をなしたるか。試みに左の一表を見よ。
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過ぐる五十年間に万国の貿易は駸々《しんしん》隆盛の域に進み、その額八倍するに至れり。すなわち左のごとし。
国名 一八三〇年 一八七八年 増加(倍割)
英国 八八、〇〇〇 六〇一、〇〇〇 七.〇
英植民地 二一、〇〇〇 三二二、〇〇〇 一四.五
フランス 四二、〇〇〇 三六八、〇〇〇 九.〇
ゲルマン 三九、〇〇〇 三一九、〇〇〇 八.〇
オランダベルギー 三〇、〇〇〇 二七五、〇〇〇 九.〇
合衆国 三五、〇〇〇 二二五、〇〇〇 六.五
オーストリア 一二、〇〇〇 一六〇、〇〇〇 一三.〇
ロシア 二四、〇〇〇 一二八、〇〇〇 五.五
南アメリカ 一四、〇〇〇 一〇一、〇〇〇 七.〇
イタリア 一一、〇〇〇 九八、〇〇〇 九.〇
スウェーデンノルウェー 八、〇〇〇 六六、〇〇〇 八.〇
スペインポルトガル 一一、〇〇〇 二九、〇〇〇 三.五
トルコおよび東方 一五、〇〇〇 八五、〇〇〇 六.〇
合計 三五〇、〇〇〇 二、七八七、〇〇〇 八.〇
(マルホール氏『万国進歩の実況』)
しからばすなわちその製造はいかん。
近世社会文運の日々に開進するや、製造工事の進歩とほとんどその歩を同じゅうせざるはなし。看よ方今欧州において一二五〇万人の職工を雇使し、日にますます盛熾《せいし》を致し、もって社会に誇るの工業といえどもかのワーテルロー(一八一五年)のときにあたりては実に微々たる幼稚の姿なりしことを。しかしてこうしてそれより以後製作工芸のもっとも改良進歩したる国はまた必ず繁栄ならざるはなし。今もし各国万般の製造事業のありさまを見んと欲せば左表のごとし。
国名 職人の数 産出高(ポンド) 職工一人あたり(ポンド)
英国 二、九三〇、〇〇〇 六六五、〇〇〇、〇〇〇 二二四
フランス 一、九三六、〇〇〇 四一六、〇〇〇、〇〇〇 二二〇
ゲルマン 二、七八一、〇〇〇 二八六、〇〇〇、〇〇〇 一〇三
ロシア 一、五〇〇、〇〇〇 一六〇、〇〇〇、〇〇〇 一〇六
オーストリア 一、一〇〇、〇〇〇 一三〇、〇〇〇、〇〇〇 一二〇
オランダベルギー 一、一八〇、〇〇〇 一一七、〇〇〇、〇〇〇 一〇〇
スペインポルトガル 六一〇、〇〇〇 七二、〇〇〇、〇〇〇 一一九
イタリア 三九〇、〇〇〇 四二、〇〇〇、〇〇〇 一〇八
スウェーデンノルウェー 二二〇、〇〇〇 二〇、〇〇〇、〇〇〇 九〇
合衆国 二、七〇四、〇〇〇 八四六、〇〇〇、〇〇〇 三一二
植民地其他 五〇、〇〇〇 五〇、〇〇〇、〇〇〇 一〇〇
合計 一五、八五一、〇〇〇 二、八〇四、〇〇〇、〇〇〇 一八〇
(マルホール氏『万国進歩の実況』)
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 吾人はこれをペンス氏に聞く。一八三三年|綛?糸《かせいと》製造高は一ヵ年にしてもって五十億里に達すべく、もって地球の表面をば二十万回|環《めぐ》らすを得べく、もって地球より太陽に達するに五十一回するを得べく、もって地球の軌道をば、八回半|※[#「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1-90-16]《めぐ》らすを得べし。しかしてその木綿布の一ヵ年の輸出高に至りてはこれを帯紐《たいちゅう》としてもって赤道を纏《まと》うこと十一回。もってこれを一直線に張るときには地球より月界に達するに余りあるべしと。五十三年前すでにかくのごとし。今日においてそのいかほど隆盛なるかを喋々《ちょうちょう》するはほとんど無益の言ならん。
 しかりしこうして商業の進歩はひとりこれらの現象にとどまらず。さらに一の咄々《とつとつ》驚くべきの現象を発出したり。なんぞや。曰く信約機関の発達これなり。かの信約なるものは実に近世文明の一大事業にしてもしこれを前世期の人に告げば渠輩《きょはい》はかくのごとき奇怪なる機関は『アラビヤン・ナイト』の小説にこそあらんと冷笑すべし。実にこの機関の奇巧快活なる決して今世紀の人にあらざるよりは了解するあたわざるところのものなり。いわゆる負債なるものは一種の富にして社会には負債の売買をもって一種の商業を営む銀行者なるものあり。しかしてこの信約の機関の商業世界における、なお蒸気機関の運動の世界におけるがごとく、もっとも絶大の働きをなすものなり。すなわちかのダニエル・ウェブスターはいわずや。「信約なるものは近世商業の大活気といわざるべからず。これがために各国を富ますや、全世界の鉱山より採収するところの金銀に比するも幾千倍なるを知らざるなり。これがために勤労を励まし、製造を熾《さか》んにして海外の通商を突飛せしめ、各人民、各王国、もしくは各小種族をばたがいに相接せしめ、たがいに相交際せしめ、もって知音とならしめたり。これがために精鋭なる陸海軍を整理し、ただ兵数に依頼するの暴力に勝たしめ、これがために国家の勢力なるものは一国の才知と富栄とおよびその道を得たるの製造等の基礎によりて巍立《ぎりつ》せざるべからざらしめたり」と。これ決して弁士誇張の言にあらず。もしその実を知らんと欲せば、かの万国信約の問屋ともいうべき、英京ロンバード街に行きてこれを見よ。実に欧州生活社会の進歩は吾人が喋々するをまたず。天下眼あるの士はみなよく知るところのものなり。かの明治十五、六年のころ仏京に滞在したるわが在野の政治家板垣退介氏曰く、
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余の仏国に在《あ》るや、同国の学士アコラス氏を訪いしに、氏は余に向かって、子は欧州に来たりて事物を観察し、いかなる感覚を発したるやと問われしにつき、余は欧州に在る日なお浅きをもってもとよりその事情の詳細を知るに由なしといえども、大体上に着目するに故国に在りてかつて聞きしがごとく欧州哲学の進歩は実に驚くべきものあり。しかれども今回余がもっとも驚愕《きょうがく》したるところのもの二あり。その一は生活社会の大いに進歩したることこれなり。その二は生活社会に比すれば政治社会の大いに進歩せざることこれなりと答えしに、アコラス氏は大いに余がこの言に感じて曰く、予もまた三日前において朋友と相謀《あいはか》り、第十九世紀においてなにをかもっとも注意すべきものかの問題を掲げて著述したるところありしが、その意、欧州は生活社会は進歩したるも政治社会は大いに進歩せず、ゆえに十九世紀においてもっともよろしく改良すべきは政治社会なりというにあり。されば子が観察はまことによくわが欧州の現状を看破したりとて意外の賞讃を受けたり。それ欧州生活社会進歩のありさまを察するにすべて財ある者、知ある者、力役者ら相合同して精巧広大の事業をなすをもって、衣食住の三者をはじめ、農工商のことに至るまで、善を尽くし、美を尽くし、村落といえども至るところ、烟筒《えんとう》空を衝いて煤烟《ばいえん》天を漲《みなぎ》らす製造者あり。潤屋《じゅんおく》雲に聳《そび》えて瓦光日に輝くの会社あり。しかして富豪の家屋を見ざるなく、容貌俊知《ようぼうしゅんち》を含むの人を見ざるなく、衣服頭飾|粲然《さんぜん》華麗の人を見ざるなく、一歩を進めて観察を下せば、あるいは力役者の会社のもとに在りて荷物を運搬するあり。あるいは会社には為替手形ありてすこぶる迅速の売買をなすあり。あるいは道路は坦《たん》として砥《と》のごとく自在に運搬交通をなし、あるいは水なきの地は溝渠《こうきょ》を穿《うが》って流水を通じ、あたかも人力をもって天造を圧倒したる景状あり。また眼を転じてその政治社会を見れば、あるいはその一己人の自由に任ずべきこともなお政治の干渉を免れざるあり。あるいは町村の自治に任ずべきこともなお中央政府の牽制を受くるものあり。しかしてその政党と称するものにしてなお私党の大弊を免るるあたわざるものありて、たとえば仏国の下議院においては貴族を放逐するの議を決したるがごとき、英国の下議院においてはかのブラッドローが誓いを諾せざるをもって議院に入ることを許さざるがごとき児戯に類することありと。
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真にしかり。しからばすなわちかの欧州なるものはその昔時においては政治社会をもって生活社会を支配したるにかかわらず、今やその生活社会の進歩よりして政治社会の進歩を促し、経済世界の交際をもって政治世界の割拠を打ち破り、生産機関をもって武備機関を顛覆《てんぷく》するは早晩避くべからざるの命運といわざるべからず。

 

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