第七回 平和世界 三(同上)
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第七回 平和世界 三(同上)
 しかりしこうしてかの富と兵とは決して同一の主義にあらず。戦争を支配するの主義はもって商業を支配するの主義にあらず。たとい二個の山嶽は相会することあるも併行の二線は相合することあるも、二個の主義は決して相会合するものにあらざることを開拓したるは、実に富の兵に向かってその大勝利を占めたるの第二着といわざるべからず。それ人は主我的の動物なり。吾人は決してベンサム氏の宗教に随喜して実利主義を主張するものにあらざれども、しかれども人間を支配する重なる力は何物ぞと問わば、吾人は決して自愛心なりと答うることを猶予せざるべし。すでに一個人を支配せる重なる勢力の自愛心にあるを知らば、この一個人によりて組織せられたる一国を支配する重なる勢力もまた一国の自愛心なることを知らざるべからず。それ一人といえども、一国といえども、自愛心すなわち利己心のために支配せらるる一の動物たるを知らば、あわせてもし彼我の利益両立せざるにおいては、決して己れを損して他を益するがごときことをなさざるべきの理を知らざるべからず。
 いかにキリスト教の感化は広大無辺なるにせよ、いかに仏法の功徳はたくさんなるにせよ、かのキリストの愛も、釈迦の憐れみも、もし自家の利益と他の利益と併立・併進・併行せざる限りは、火中に油を投ずるがごとく、かえってますます炎々の勢焔《せいえん》を加うるに過ぎざるべし。しかしてかの上古いなほとんど近世に至るまで、世人みなそのもっとも身に適切なる、そのもっとも直接の必要なる貿易の利益は彼我両立せざるものとの妄想を抱けり。いやしくもこの妄想の各人の頭脳に、社会の全隅に跋扈《ばっこ》する間は、いかに博愛の説教をなすも、あたかも道傍の石地蔵尊に向かって講談を試むるがごとく、聞く人はもとより説く人さえもその心においては決して悦服甘心せざることは当然のことといわざるべからず。しかして貿易の法則は彼我の利益を並立せしむるにあり、貿易の法則はすなわち人情の法則なり、宗教の法則なり、愛情の法則なりという万古の真理を叫破し、しかしてほとんど俗耳を聳動《しょうどう》するがごとく明暢《めいちょう》に叫破したるは実にアダム・スミスその人にしてこの法則をば実行せしむるの作用を発明したるはゼームス・ワットその人なりといわざるべからず。もし人の国家を破り、人の社稷《しゃしょく》を滅ぼし、百姓《ひゃくせい》の力を罷《つか》らし、百姓の財を尽くし、人の父を殺し、人の子を孤《こ》にし、乱政虐刑をなし、もって天下を残賤《ざんせん》するの人をもって英雄豪傑とせば、かのナポレオン、ビスマルク、ゴルチャコフのごとき実にその人なりといえども、もし襤褸《らんる》を纏《まと》うものをして体に適する新衣を穿《うが》たしめ、半ばは土を食うの窮民に向かって肉を与え、雨露霜雪の侵し来たる茅舎《ぼうしゃ》を一変して愉快なる家宅となさしめ、万国の怨恨《えんこん》をば一変して友愛の情となし、兵気銷《き》えて日月光をなすの希望をば前途に生ぜしめ、社会の結合は強迫の結合を頼まずして随意の結合を頼むべし、随意の結合は利益の結合にして利益の結合はすなわち愛情の結合たるの一大真理の燈火を世界に与えたる人をもって、世界の尊敬と欽慕《きんぼ》とに値するの大人とせば、その人はすなわちスミス、ワットの二氏ならざるべからず。社会を撼《うご》かすは決して一個人の力にのみ依頼すべからず。しかれどももし一個人の力によりて第十九世紀の新世界を湧出《ようしゅつ》することに尽力し、かつその功労ある人はたれなりと問わば、ただちに指を二氏に屈せざるべからず。実にわが第十九世紀文明の世界は金冠を戴くの帝王よりも、三台に坐するの宰相よりも、浮誇艶麗《ふこえんれい》の文人才子よりも、人民の偶像たる雄弁快論の国会議員よりも、活溌老練の商業家よりも、敬虔《けいけん》熱心なる宗教家よりも、実にこの二氏に向かって負うところのもの多しといわざるべからず。実に今日の世界はスコットランド山中二寒儒の手により作為せられたるの世界なり。二氏のごときは実に宇内《うだい》の大恩人にして無冠の皇帝といわざるべからず。願わくはわが現今の人民よ、わが将来の人民たる青年よ、少しくかのナポレオン、ビスマルクを嘆美するの熱情をば一転してこの二恩人を嘆美せよ。
 けだし近時の世界において真正の平和主義なるものはスミス氏より出でたりといわざるべからず。もとより氏が以前に平和主義を講じたるの士一にして足らず。しかれどもこれただ一の空論のみ。すなわち快楽主義を仇敵として、苦痛主義を本尊となし、世好に反し、人情に逆らい、滔々たる世界|名奔利走《めいほんりそう》の人に向かってストイックの哲学家たるを求め、これに望むに雪山苦行の釈尊をもってし、これに責むるに面壁九年の達磨《だるま》をもってする、迂濶《うかつ》にして苛酷なる空論のみ。されば一方においては平和主義を講じ、一方においては争闘主義流行し、議論はただ議論にして、実際は別に実際なれば、いかほど尖吻熱舌《せんぷんねつぜつ》、弁じ去り鼓し来たるもいわゆる空言世に補いなかりしといえども、スミス氏に至りてはかの平和なるものは自家の利益を犠牲としたるの平和にあらず。自家の利益を進取せんがための平和なりと一唱したるがゆえに、ここにおいてか初めて実際に行なうべき平和主義なるもの出で、沛然《はいぜん》として江河を決するがごとく、これを防ぐあたわざる勢いとなれり。けだし平和主義なるものは一の極楽浄土といえども、上古のいわゆる平和なるものを得んと欲せばあたかも仏者のいわゆる剣山を攀《よ》じざるべからず。極楽に入るは何人にても実に願うところなれども、剣山に攀ずるの苦痛に至りては何人も実に逡巡避易《しゅんじゅんへきえき》せざるを得ず。氏出でてより平和の極楽に達するになんの苦もなく、いわゆる剣山もなく、三途《さんず》の川もなく、横行濶歩もって、陶朱公が術を抱いて、釈迦の極楽に旅行するの道を教えたり。この門ひとたび通ず。たれか好んでここに入らざるものあらん。看よ看よ平和の主義は隠然すでにその勢力を社会の中心に蒐集したることを。
 戦争をもって商業をなさんより商業をもって商業をなすにいずれ。それ貿易の主義は平和の主義なり。しからばすなわち富のますます進歩するに従い平和主義のいよいよ進歩するはあにまたうべならずや。たとえばかの一昨年来清仏の開戦に際し、上海《シャンハイ》寄留の外国人らがその平和を欲するのあまりに、ともに醵金《きょきん》してもって二国の争闘を調停せんとしたるがごとき、これ決して両国生霊の塗炭に困《くる》しむの状を見るに忍びずしてかくのごとく道徳上の職分を尽くすものにあらず。さればかの迂儒《うじゅ》の眼中より見ればほとんど理由もなく因縁もなく、他人の疝気《せんき》を頭痛に病むの類たるがごとく、実に咄々《とつとつ》怪事のごとしといえども、決してしからず。かの外国商人らはむしろ少しく出金の苦痛を忍受するも、戦争のためにその取引上に大なる損害をこうむらざらんがためにこれを企てたるなり。すなわちかの利己の一念は外国人民をしてその関係なき二国の和睦を計画せしめたり。吾人はかくのごときことの、世のいわゆる慈善家・道徳家・博愛家の丹心より出でずしてかえってかのただ利これ汲々《きゅうきゅう》たるの商人より出でたることを見て、理論の実に価値なくしかしてその価値あるの理論は人間の自愛心と一致せざるべからざるものなることを知れり。知るべし平和主義と自愛主義とはかの富と兵とのごとく決して敵対の主義にあらずしてすなわち一致協同の主義といわざるべからざることを。それ戦争に敵するものは平和主義にあらずしてむしろ利己主義なり。かの平和主義なるものはただ利己主義の境遇において初めて生長しただこれと一致して初めてその力を逞しゅうするを得るものなり。吾人はかの戦争主義のためにこの意外の大敵に遭遇したることを悲しみ、平和主義のためにこの意外の勢力ある味方を得たることを祝せざるべからず。実にかの腕力主義の恐るべき大敵はただこの利己主義にあり。ただこの利己主義にあり。今日に至るまで腕力主義の社会に横行したるゆえんのものはただ人の妄想よりして利己主義と一致したるものとなしたればなり。すなわち利己主義の勢力を仮りたればなり。しかして今や人を損するは己れを利するにあらず、己れを利するはすなわち人を利するなりとの主義、社会に勢力を有するに至る。たれかここに至りてまた腕力主義の味方となるものあらんや。看よ看よ今日においてその心中に天下の泰平を祈らざるものはただ二、三の権謀政治家、貪る狼のごとき帝王宰相、もしくは無主義なる二、三の海陸軍人のそのもっとも少なき少数にとどまることを。しかしてなおこれらの人々がその幾分の勢力を社会に有するがごときの観あるはただ過去の因果よりしてやむべからざるものあればなり。それやむべからざるものなり。あにそれ久しきを保たんや。試みに思え、今日の世界においては一個人にして平和主義を唱うるのみならず、一部の階級の人々平和主義を唱うるのみならず、すなわち一国を挙げて平和主義を唱うるものあることを。その国はいずれの辺にある。すなわち吾人が東隣の北米連邦これなり。
 明治十七年八月十四日開設の万国講和協会において米人ブラウン氏は左の演説をなせり。
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わが合衆国政府は人口五千万を有するも、なお平時にありてはわずかに二万五〇〇〇人の常備軍をもって足れりとす。これわが邦《くに》独立以来兵乱の少なかりしゆえんにして、百有一年間において外国と兵を交えしは一八一二年〔英国との役〕および一八四六年〔メキシコとの役〕の二回のみ。しかしてその間、スペイン・仏・露・メキシコその他の諸国より購求してもってわが版図に併《あわ》せたる土地は諸君の熟知するごとくきわめて大にして、人口もまた三百万より五千万に増加したり。かく版図いよいよ広く人民いよいよ多きを致せしもみな平和の方略によるものにして、一民一土も兵力をもって征略するところなく、欧州においてつねに欠くべからずとなすところの常備軍のごときわが邦においては内、秩序を保ち、外、国威を存するにおいてその必要なるを感ぜざりき。その南北の乱は四年にまたがり、地を蕪《ぶ》し、命を害し、ことに言うに忍びざるの惨状を呈せしも、余はこれによりてますます常備軍の必要なきを確信せり。けだしこの際南北双方において募集したる兵は無慮百五十万に下らざりしかども、乱|熄《や》むののち数年を出でずしておのおのその常産に復し、兵丁の数は僅々たる定数に過ぎざるに至れり。要するにつねに大兵を擁すればややもすればこれを弄《ろう》せんとするの念を起こし、乱を※[#「楫のつくり+戈」、第3水準1-84-66]《おさ》むるゆえんのものをもってかえって乱を開きしこと、古今その例に乏しからず。あに嘆ぜざるべけんや。
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 吾人は実にこれを異《あや》しまざるを得ず。かの竜驤虎視《りゅうじょうこし》各国たがいに剣鋩《けんぼう》を削り、地球の表面にはいまだ一日も烽火《ほうか》の上るを見ざるの日なく、いまだ一日も砲声を聞かざるのときなき今日において、いかなればかくのごとき国体にして、しかしてかくのごとく光栄に、その国体を維持するを得るか。これをたとうるに北米連邦の今日の世界における、あたかも刀戟《とうげき》相摩し、砲銃相接するの修羅の?《ちまた》に悠然として平服を着し、脱刀して横行濶歩する者のごとく、実にその傍若無人の挙動に至りては、何人といえども驚かざるを得ず。しかして彼はなんの頼むところあってこの大胆なる挙動をなすや。かの各国はなんの恐るるところありてこの世界第一等の富栄なる、すなわちそのもっともなる奇貨をばかのローマのカルタゴにおけるがごとく、アレキサンダー大帝のツロにおけるがごとく、一攫一抓《いっかくいっそう》の奇功を試みざるか。いやしくもこの問題を了解するの士は必ず第十九世紀世界の真面目を了解すべし。
 今日において各国の欲するところ、富よりはなはだしきはなし。各国の恐るるところ富よりはなはだしきはなし。それ今日の世界は富の世界なり。しかしてかの北米連邦は富によりて立ちたるの国体なり。それただ世界第一等の富栄なる国なり。ゆえに世界の大盗賊もこれを窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17]《きゆ》するあたわざるなり。もし苛酷なる批評的の眼をもってこれを観察したらば、かの北米連邦とて決していちいち敬服すべきことのみにはあらざるべし。しかれどもその国家・制度・文物の美なるに至りては吾人は実にこれに心酔せざらんと欲するも決してあたわざるなり。かの平民主義の政治の一隅に発達したるにとどまらず、平民的の活気は全社会に充満|磅※[#「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1-89-18]《ほうはく》し、ひとり天下国家の大経綸のみならず、日用その身に接近してほとんど人の注意を惹《ひ》くあたわざるほどの微妙|些細《ささい》なることにてもこれを解剖すればことごとく平民的の分子によりて組織せられざるはなし。これを要するにその一国を挙げて徹頭徹尾、ただ平民的の分子の結晶体ともいうべき一大現象に向かっては吾人が実に欽慕《きんぼ》嘆美おくあたわざるところなり。トクヴィル氏は曰く、
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米人の身を挺し険を踏み商業に従事する、なお仏人の軍陣におけるがごとし。仏人は征略のためにこれを用い、米人は廉価のためにこれを用う。けだし米人の行険《こうけん》活溌なる気象はこれをして世界においてもっとも廉価にしてもっとも快速なる貿易者とならしめたり。
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また曰く、
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今やその檣竿《しょうかん》に翻々たるの花旗はすでに天涯地角、至るところの人をして尊敬せしむるの力を有せり。おもうに数年を出でずして人をしてさらに恐怖せしむるところのものとなるや必せり。余はひとたびこの人民がこの商業に黽勉《びんべん》するの熱心とその商業を進捗《しんちょく》せしむる自然の便益と〔按ずるに善き港湾に富むがごときの類〕および今日においてすでにその成就したるところの功績につき思考するときには、余は早晩この国が地球上第一流の海上の権者となることを信ぜざらんと欲するもあたわざるなり。かのローマ人民が世界を征服せんがために生まれ出でたるごとく、この人民は海上を支配せんがために生まれ出でたる者なり。
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 実にかのローマ人は鉄を揮《ふる》うて金を攫《つか》めり。しかれども今や米人は金を攫んで鉄を揮えり。これ二国の相違したるのみにとどまらず、二国によって代表せらるる古今時勢の相違なり。それ上古の時勢は腕力、富を制するの時勢なり。近世の時勢は富、腕力を制するの時勢なり。しかしてかの富はひとり腕力を制するのみならず、腕力の児孫たる涙なり、血なり、怨恨《えんこん》なり、争闘なり、嫉妬なり。強、弱を圧することなり、暴、正に勝つことなり、その他疾病・饑饉《ききん》・放火・盗賊等を一掃し去らんとするの希望をしてすでに吾人が眼前に横たわらしめたり。吾人は試みに英国において自由貿易の大先達たるコブデン氏の説を聞くべし。
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余はこれを信ず。かの生活上の利益は自由貿易主義の全勝よりして人類の得たるところの一少部分の利益に過ぎざることを。試みに遠大の眼を開け。余は自由貿易の主義が道義の世界におけるはなお重力の法の宇宙におけるがごとく人類を一所に吸引し、その種族・宗教・国語等の相反対敵視するものを脱却し、吾人をして、無極の平和の帯紐《たいちゅう》をもって一致せしむることを信ずるなり。さらに一層の遠大の眼を開き視よ。余はこれを推測し、かつこれを夢想す。漠々たる将来すなわち千有余年の後において、この主義全勝の結果はそれいかがなるべきかと。余は実にその結果なるものは世界の表面を一変し、今日に流行するところのものよりもまったくその趣を異にするところの政府の組織をば採用することあるを信ず。余はかの帝国の版図を張り、その威力を拡げ、雄壮なる陸軍を設け、偉大なる海軍を備えんとするがごとき、すなわち人の生命を斬殺《ざんさつ》せんがために、もしくは勤労の報酬たる財産をば残滅せんがために用うるの器械をば備うることの願欲と熱望とは必ず烟散霧消するを信ずるなり。余はもし人類が一家族となり、たがいにその同胞とともに自由にその勤労の結果をば貿易するを得るの日においては、かくのごときの凶器は無用となり、さらにこれを用うるの必要なきに至るを信ずるなり。
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 吾人は実にこの言の夢想に属せざらんことを希望し、かつ実にこの言の夢想ならざることを信ずるものなり。なんとなれば今日|宇内《うだい》の経済世界の現象は実にこの言の空望にあらざることを吾人に向かって保証すればなり。それ近世の歴史は兵と富との戦争史なり。しかして第十九世紀の時代は富が兵に向かって大勝利を得、かつ得んとするの時代なり。看よ看よ欧州将来の歴史には必ずかの帝王宰相らをして狼狽《ろうばい》顛倒《てんとう》せしむるの一大革命あるべし。しかしてその革命なるものはなんぞや。すなわち商業主義が腕力主義に向かってその抗抵を試み、しかして連戦|連捷《れんしょう》ついにその最後の目的を達するの一大革命なることを。ああわが同胞人民よ。記憶せよ。わが四隣の境遇は実にかくのごときのありさまなることを。

 

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